のぐち英一郎の鹿児島ガイド #4 「鹿児島のホームレスさん」


「NPO法人かごしまホームレス生活者 支え合う会のこと」
野口さん
それと、わたしは「NPO法人かごしまホームレス生活者 支え合う会」というNPOの理事をさせてもらっています。

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支え合う会は、日常的に、相談業務、支援業務やっていて、
県であったり、いろいろなところからの補助金をいただきながら、
困窮者支援の現場の実務を担っています。

例えば、市内にはひとつシェルターを構えていて、
法務省からの刑余者、出所したての方、
早めに出所された方の受け皿としての事業を行っています。

また、NPOを構成しているメンバーには、司法書士であったり、
保健福祉の専門家も入ってるんですけれど、
自分たちのような一般人も入って活動しているNPOとしては、
おそらく鹿児島県内では、数少ない存在のひとつです。

支え合う会の重要な活動のひとつに、炊き出しがありまして、
2008年のリーマンショックからは、
炊き出しにも20代・30代の方がコンスタントに並ばれてしまう状況が続いています。
また、男女比の割合は男性の方が多いですが、女性の方もいらっしゃいます。

テンダー
リーマンショックからなんですね。
野口さん
はい。
そういう方から相談を受けて、
支援の必要な方に、社会制度をお伝えして、
話が進んで行くと、生活保護の受給がはじまります。

そこで入居することを「畳にあがる」というんですけれど、
畳にあがってからの、ひとり生活がなかなかつらい。

また、野宿生活者の方は、料理をするという生活習慣がなかったりするので、
月末には料理会、といって、
公共施設の共同キッチンみたいなところで
みんなでご飯をつくって食べるということもしています。

あとは、活動としては、夜回りをしています。
自分から出向いていって、困窮している状況の人がいないか、探しに行く、ということですね。

他には、常時、相談受付もしています。

テンダー
おお、盛りだくさんですね。
その活動はどのくらいされてるんですか?
野口さん
法人になって7年目、それまでは個人でやってました。
法人化の前は、メンバーは個別にそれぞれのやり方でやっていたのですが、だんだんと一緒にみんなで活動するようになり、これはもう、NPOが必要だよね、ということになりました。
テンダー
法人化後の7年間の、手応えの推移ってどうですか?
野口さん
それまで見えて来なかったものが、支援していくとによりわかることがあります。

かねてから行政は、住民福祉の向上、ということを言うんですけど、それはすべての世代の問題なので、手応えとして、現状に全く追いつけてない、という実感があります。

貧困とか、生活困窮で、野宿生活状況になるというのが、
残念ながら、普遍的な問題になってきてしまっているんだな、と思います。

この策を打てば、こう解決する、などとはもはや言えなくて、
複雑な、それぞれのケースが絡み合っていて、
政治としても向き合い、行政としても向き合っていかなくてはいけない。そういう課題になってきています。

ちなみに、自分が、10代の頃のホームレスの一方的なイメージは、
中高年の男性で、リストラであったり、借金などが事情かな?
というステレオタイプなイメージでいたんですけど、

活動を通してわかったことは、女性のホームレスもいらっしゃるし、リーマンショック以降は、若い方々が本当に増えました。それには驚くばかりです。

良いニュースとしては、毎年の自殺者3万人が、
去年15年ぶりに3万人切った、という報告がありました。

わたしたちとしては、あの手この手で
どのように対策ができるのか、ということを
議会の場で提言したり、実践したり、それに奔走する毎日です。

きちんと取り組むまで、知らなかったことがあまりに多かったのです。

テンダー
それは、具体的に、何をどうしたらいい、みたいな構成自体がはっきり見えていないということですか?
野口さん
いえ、そうではなくて、
子供についてはこういうこと、
若年層も就労支援を手あつく、
個別のケースごとに、一緒に窓口まで行って、支援制度の使い方から手伝う必要がある、というようなことです。

一律で、こうすれば解決!とは言えない。

あとは今までは、知的障害の方にも、
建設現場などでの「危ないけど単純労働」というような仕事があったものが、景気が冷え込んで現場がなくなり、仕事も切られるケースが出てきました。

でも、そういう方にはもともと用意されている社会保障の制度があるので、個人を制度と結ぶ、ということが必要になってきます。

テンダー
個人と制度を結ぶ、というのはとても重要なことですね。
野口さん
この7年間で、かなりの数の具体的なことがわかってきました。

それでも尚、困っている人の数がとても多く、追いついていけない現状が、目の前にはしっかりとあります。

だから、行政にはデータなり、事実を突きつけ、認識をしてもらいます。そして、認識があるなら、やってください、ということを、市議の立場で言う。

また、個別の活動は、NPOとしてやったり、法律を勉強しに行ったりしながら、鹿児島市における、具体的な課題の解決を地道に重ねて来ました。

テンダー
率直な質問なのですけど、
身の振り方として、ホームレスの人たちの求めるものって、どんなものがありますか?
ゆくゆくはこうしたい、ということ。
野口さん
ゆくゆくは、という未来のことではなくて、
現在の自分の環境を整えたい、未来のことは、それから考えたい。というのが普遍的なニーズとしてありますね。

それは、
野宿よりかは、安心して眠る場所、とか、
ご飯に不自由しないこと、とか
まずはそこを整えたいというところからですね。

精神的にくたびれたりしている人もいらっしゃるので。

また職種的なことを言えば、
「バイトでもあれば」ということをおっしゃる方も多いのですが、
ハローワークに行けば、50過ぎれば仕事はない、と言われます。

しかし社会的には、60歳までを働ける年齢とみなされているので、ハローワークへ行きなさいと、市役所の担当の人に言われたりするそうなんですが、行ってもないものはない。

テンダー
うーん、
彼らは、鹿児島市を、都会を離れるという選択はしないんですか?
野口さん
そもそもが他所から鹿児島市に来た、というような方が多いのです。

それは、市外の自治体で保護申請に行くと、「鹿児島市は生活保護の対応が誠実でしっかりしてると定評があるので、鹿児島市に行きなさい」と勧める他市もあるくらいなのです。

テンダー
なんとまあ。
その都会を離れないのか?という質問は、
例えば、漁師町だったら、年齢を問わず雇ってくれる仕事とか、たくさんあると思うんですけど、
そういう就労のあり方は目指されていない?
野口さん
うーん。
たぶん、そういう方はおそらく最初からそちらに行ってると思いますし、若い人は行ったりします。たとえば愛知県豊田市の季節工などですね。
テンダー
なるほど。
そういう方は、そもそもその場にいないんですね。
野口さん
あとは、生活保護が決まると住所が決まるので、
場合によっては、最初は黙っていた借金の催促が、
たくさん来るようになる。

それでまた出て行ってしまう、という方もいらっしゃいます。

多重債務は、当事者からすると怖い、というか、
追いかけてくる人たちが怖い。

でも、自己破産など解決のしようはあって、
そのあたりのことは、やはり制度と個人を結びつける作業が必要になります。

経験上、本当にどうしようもない、という問題はそんなにない、という感覚がありますね。

テンダー
そうなんですね、知らなかった。
どうしようもない、という問題はそんなにない。
野口さん
生活保護のあり方についても、
先ほど述べたように、
働いているけど、生活上、足りない分だけもらう、といった
そういう保護のやり方もあります。

仮に漁師町に、働き場があるのであれば、
そういう情報を示すことも、きめ細かくやっていく、ということですね。

テンダー
なるほど。
ちなみに野宿ってのは違法なんですよね?
野口さん
違法なんですか?
公園の野宿は違法ですけれど。
テンダー
でも、道路も公園も所有者がいて、かつ宿泊の目的にあるものではないですよね?
そこまで厳しくなかったかな?

どちらにせよ、それを国っていうのはどういう視点で見るんだろうな、と思っていて、違法なままでも、そのままの方が合理的にロスが少ないのであれば、看過するのか、
もしくは違法だから、そこに対してクリアするための福利厚生をしていこう、とか、
そういう判断について知りたいです。

野口さん
はい
テンダー
というのも、状況を解決するための思想は、たぶんたくさんあるのだけど、結局、本人がどうしたいのか、というところに帰結すると思うんです。

お話を伺っていると、本人の帰結の幅がとてもせまい、というか、

わたくしからすると、そんなに社会制度がつらくて、すべてを失うところまできたのに、またその社会制度に戻って行くのか、という感覚があるんですね。

で、野宿を続けるにしろ、快適な野宿をする方法を身につける、とか、やりようはあるように思うんです。

野口さん
テンダー的ですね!

テンダー
うん、いくらでも、考え方とやり方を変えることはできると思うんだけど、そのこと自体(また戻って行くこと)が、わからない。
野口さんとしては、ホームレスの支援をすることもできる市井の人に 「どうしてもらえると」助かりますか?
野口さん
テンダーはまた戻って行くのか、と思うのかもしれないんだけど、
わたしは〝「町に戻りたい」という人たちが自分たちに接点を持ってくれている〟と思っています。

そういう方に対する、見方・考え方を知る機会を、
NPOとして発信して行くことを大事にしています。

これは、なかなかイメージできないかもしれませんが、
明日は我が身、となりうることだな、とわたしは思っています。

ひろくみなさんに、お力添えをお願いしたいのは、
炊き出しのためにお米集めや、
まるで他人事のような野宿生活者のことを理解して、
こういうことになることもあるな、ということを
わかって、生きてほしい。
そういう人が、ひとりでも増えれば、と思ってます。

テンダー
なるほど。
野口さん
あとは、発信のための場ですね。

鹿児島大学の、大野先生という憲法の先生がいらっしゃって、
ビッグイシューかごしまサポーターズの代表もしていただいてるんですけども、その大野先生の授業の講師に、ビッグイシューの販売員さんに招いて、野宿のときの体験だったり、話してもらうということを年1回やってくださっています。

その授業では、学生さんはおどろき、理解が深まっているみたいなので、そういう機会も、もう少し増やしていきたい。

テンダー
炊き出しにお手伝いさんはいらないですか?
野口さん
いえ、大いに募集しています。

わたしは木曜日の夕方の回を手伝ってるんですけど、
鹿児島市は、火曜・木曜・日曜に炊き出しがあります。
土曜日はザビエル教会さんがされているので、
鹿児島市内にいらっしゃれば、週4回は1食食べられる、ということですね。

テンダー
すごいことですね、それは。
野口さん
炊き出しのお米も、ときに足りなくなることがありますので、
お米は常にカンパいただければありがたいです。

じゃあ、おにぎりにぎるよ!という方はご連絡いただければ、
にぎるだけでもありがたいですし、直接公園まで行って、渡す手伝いまでしてもらってもありがたいですし。

こういう状況があるんだな、ということをリアルに知ってもらうことが大事だと思っているので、関心を持つ方にはぜひ参加してもらえれば、と思います。

とあるケース
テンダー
ホームレス支援についていろいろお話いただいたんですけど、これまでに手伝いしたり、話を聞いたりしてる中で、印象に残っている方っていらっしゃいますか?

野口さん
うーん。

あるとき炊き出しにいらした方で、
「困って車上生活してるんだ」
ということをおっしゃってました。

お話を一通り聞いて、
そんなに大変なのであれば、お部屋をすぐに探しますよ、
そういうことなら生活保護も出ますし、
住居が落ち着いたら、またやり直して仕事探して、ということをお伝えしました。

その方は、そこまで年配でもなかったので、
ご本人も「そうしたい」ということでした。

「保護の相談も一緒に行きますか?」と、わたしから聞いたんですが、大丈夫、とおっしゃったんですね。

保護申請のときに、付き添いをすることがあるのですけど、
ひとりでやりとりできる方にはひとりで行ってもらうので、
このときは、しゃべれるなら大丈夫だと思って。
そして、生活保護申請に行ってもらって、部屋も決まったんです。

ところが、結構な借金を持っていたみたいで、
何度かのやりとりがあったのち、
わたしの活動エリアとは離れたところにお住まいになったので、普段会うこともなく、しばらくしたら音信が途絶えてしまいました。

わたしも、頼りがないのが良い知らせ、と思って、
他の保護申請をされた方達と同じように、落ち着いたんだな、と思って安心していたら、

あるとき差し迫った様子で、
「実は、借金が結構な額あって、住所が確定したら取り立てが来るようになってしまった。
耐えられなくて、部屋を出てしまい、
食べ物を買うお金がないから、貸してくれ」
という電話がありました。

貸してくれ、という額も1000円、2000円なんですけど、そういうことになったか、と思いながらも、

「ただ逃げてもしょうがないから、どっかで会って話したいですね」と言ったら、
「もう逃げるしかない」と
そういう感じでした。

そのときは、教えてもらった口座に振り込んだのですが、1、2日したら、「ガソリンがなくなるから、また貸してくれ」と言われ、
そのときはもう、帰ってきて会いましょう、と言ったものの、逃げるとのことで、ガソリン代も振込ました。

その後、ずっと会えずじまい。

会えないまま、1、2年経ち、
どこか遠くへ行ったのかな、と思っていたら、

ある刑事事件に関与した、ということを知ることがありました。

テンダー
あらららら。

野口さん
たとえば夜回りで出会って、
「何かお困り事はないですか?」
と尋ねても、答える人も答えない人もいらっしゃいます。

軽い気持ちで聞いてはいないけど、出てくる言葉に寄り添った部分で、できるかぎりのことができれば、そこまでがひとつの区切り、と思っていたんですね。

だけど、もう少し自分に、話を聞く技術があれば、
借金の整理のこと、逃げないとダメだ、という強迫観念のこと、遠くにいき、事件に関与してしまったこと、ひとつひとつに手だてや支援ができていれば、と思うことが今でもあります。

どれかひとつ、クリア出来ていれば、次に連鎖しなかったのではないか、と。

その後、この事件のことが縁となり、今でも手紙のやりとりをする状況があります。
またいづれお会いすることもあるでしょう、と思いながら、手紙を書いています。

(次ページ、再来年から始まるであろう自立支援の法律について)


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。