福島と同じほどに重大な、六ヶ所村の村長選のこと。


アースデイ六ヶ所

あなたは青森県の六ヶ所村を知っているだろうか。

下北半島の太平洋側、かつては水産業で栄えた小さな村だ。美しく、広く豊かな村。
しかし今や六ヶ所村は、日本中の使用済み核燃料が集まる村であり、原発で使い終わった劣化ウランを「再処理」し、使用済み核燃料からウランとプルトニウムを取り出す、再処理工場の村として有名になった。

わたしは縁あって、2006年から1年間、この村に住んでいた。

六ヶ所村村長選

そんな六ヶ所村では、現在村長選をしている。投開票は6月22日。計4名が立候補をしている。
80歳の現職村長は出馬せず、副村長を後継指名。そのまま候補者は副村長ひとりの無投票かと思われたが、立候補の締め切り直前に、3人も駆け込み立候補をした。ひとりは地元農家、ひとりは青森市在住の活動家、ひとりは盛岡市在住の唄うたい。

毎回、六ヶ所村の当確ラインは5000票ほど。過去の投票結果を見れば、自ずと結果は見えている。しかし、この選挙の肝心なことは、特定の候補者の当落や人となりではない。
わたしが今日考えるのは、「再処理自体はもはや一国で収まらないほどの問題であるのに、その鍵を握る六ヶ所村村長選が、信じられないほど希薄な内容になっている」ということだ。


六ヶ所村のことをわかりやすく知ってもらうために、2006年までさかのぼろう。
2006年といえば、福島の事故以前。当時は国民のほとんどが、「ベクレル」や「ミリシーベルト」といった概念や単位を知らなかった時期だ。
しかし、その2月に青森県は「再処理工場が動けば、魚に含まれるトリチウムは、魚1kgあたり300ベクレル増えます」と公表したのだ。今となってはまことに驚くべき内容だが、当時はそれが何を意味するのか、ほとんどの人にとっては理解できなかっただろう。

(青森県の公表した「六ヶ所再処理工場の操業と線量評価について」

http://www.jca.apc.org/mihama/reprocess/aomori_shiryo060207.htm

STOP ROKKASHO

同年の5月、音楽家の坂本龍一氏がSTOPROKKASHOというプロジェクトを通して、汚染の発端となる六ヶ所村の再処理工場の問題を提起した。たくさんのアーティストを巻き込んだSTOPROKKASHOのムーブメントは、今までの反原発運動に比べて若年層にひろがりを見せた。その一端に触れ、当時23歳だったわたしは、六ヶ所の地に足を踏み入れることにした。

六ヶ所村の夕陽

はじめての東北は、ただひたすらに美しかった。寒さに霜げた草原(くさはら)、その地平線に沈む夕陽。日が暮れれば、夜空を見上げずとも前を向けば目の高さに星が見えた。六ヶ所村はどこまでも星空なのだ。

そしてなによりわたしを驚かせたのが食材のおいしさだった。関東で暮らしてきた若者が、はじめて食べた東北の有機野菜。その甘さと味のたくましさは衝撃的だった。六ヶ所の良いところをたくさん知った単純なわたしは、すっかり六ヶ所村に住む気になっていた。

引っ越しの準備のため、夜行バスを取り、青森市で小料理屋に立ち寄ったときのこと。そこの女将にこれから青森に引っ越すつもりだ、と話すと会話がはずんだ。女将は帰り際のわたしに「兄ちゃん、あんたもはやく再処理工場で働けるようになるといいね」と優しく言った。


六ヶ所村再処理工場
[写真 / wikipedia より]

六ヶ所村は当時、日本の市町村の中で最も放射性物質を保有していた村だ。村の再処理工場では、原発で使い終わった劣化ウランを「再処理」し、1%の使えるウランと、1%のプルトニウムを取り出している。
ウランのリサイクルというと聞こえはいいが、実際に使えるウランは1%である上に、新しいウランを直接買うよりもはるかに高いコストがかかる。
ではなぜ高いコストをかけて再処理工場を運用するのかといえば、その目的は副産物のプルトニウムにあるといっていい。世界的には再処理工場というものは、プルトニウムを生産するための軍事施設として認知されているのだ。

六ヶ所村の再処理工場関連事業の従事者は、約4000人。全員が村に住んでいたわけではないが、当時村の人口が1万2千人だったので、だいたい村にいる3人に1人は再処理関係の仕事をしていたことになる。
そして、かつては地元の高校を卒業して、再処理工場を運営する日本原燃に就職すると、初任給が40万円という時代もあったそうだ。

六ヶ所村の良い就職先のもうひとつは、再処理工程を解説する壮大なアトラクション施設「六ヶ所原燃PRセンター」だ。

六ヶ所原燃PRセンター

PRセンターは、中に入ると制服を着た係の女性が再処理工程の説明をしてくれる。この案内係はいい就職先だと村の人が教えてくれた。
ちなみに、村のショッピングモールの託児スペースの壁には、再処理がいかにすばらしいものかの説明を、ところせましと漫画で描いてある。

六ヶ所村では、幼い時期から再処理についての教育を受けるのだ。

しかし、再処理工場がたった1日の運転で、原発の360倍の放射性物質の排出をする(年間でクリプトン85を33京ベクレル放出する)ということを、村のほとんどの人は知らなかった。

また、再処理工場で生産され、もしくはフランスに再処理を委託して作られたプルトニウムが、日本にすでに45トンあること、かたや、北朝鮮が国際世論から問題視されたプルトニウムの保有量はわずか5kgだということも知らなかった。
(プルトニウムは核爆弾の材料だ。8kgのプルトニウムで核爆弾を1つ作ることができる)

まったくおかしな話だが、都合の悪い話は、六ヶ所村民には伝わらないようになっているのだ。


住んでいる間に、選挙の話も聞いた。

あるとき、投票権のある人の家には、ひとりあたり5万円ほどで票を買いに来るという話を耳にした。選挙の時期には、4000票のために2億円が動くのだという。選挙のことを第四次産業と呼ぶ人も村にはいるらしく、選挙の時期になると、巨額の資金が動いたという。

flowlife03

かつての六ヶ所村の選挙は熾烈極まりなかった。工場の凍結を宣言して当選した村長が、就任後に推進にひるがえったり、在職中の村長が自殺をしたり、選挙によって再処理をめぐる状況が二転三転してきたのだ。

なぜなら、再処理工場の建設を中止・推進できるのは、事業を運営する日本原燃、それを承認する青森県知事、そして六ヶ所村村長の三者だけだからだ。

再処理の計画がある一定以上進んでしまったことと、もはや再処理反対の者は村に数人しかいないために、今でこそ選挙は静かになったが、やはりまだなお六ヶ所村長の意味するところは大きい。

ところが冒頭に述べた通り、現在の六ヶ所村長選は、哀しいほどに散漫な状態になっている。


今回の村長選は、現職は出馬せず、副村長を後継指名した。そして立候補の締め切り直前に、3人が駆け込み立候補をしたのだ。

六ヶ所村長選
[写真 / wikipedia より]

わたしは、今までにブレーン的な役割も含め、いくつか大きな選挙に関わったが、直前に立候補を決意して、勝てる選挙などほぼない。
また、地方の首長選へ、他所者が出て勝てるわけもない。

しかも副村長以外の3人は、六ヶ所村において最大の争点である、再処理工場に関しては稼働中止を掲げているのだ。現職から後継指名を受けた候補者がいる選挙で、国策の前にただでさえ不利な再処理への反対を掲げ、さらに同じ主張を3人がする。

票が割れることは、火を見るよりもあきらかだ。それぞれの政治に対する妥協できない信念や主張があって、出ざるを得ないのであればまだわかる。

しかし、根幹の部分であまり差異がないとわたしには思える3人が、なぜ3人とも出馬することになったのか。率直に言えば、それは再処理施設の抱える問題を広報する目的と、反再処理派間の確執と、からなのだ。

「再処理のことを全国に知らせるために出馬する」
と、候補者のひとりはわたしに言った。
しかし、出馬以外にも再処理を全国に知らせるために、やれることはたくさんある、とわたしは思う。また、広報目的であることと、順当な候補者を擁立すること、もしくはきちんと準備して出馬することはなんらかち合うものではないはずだ。

こんなにも重大な問題を扱う村長選であるにもかかわらず、勝つつもりのない候補者が3名出馬し、実質の無投票。

さらに村の再処理反対派は数人しかいないのに、その一部は不仲のために調整ができなかった。結果、反対派の村民が村外に働きかけ、村外の反対派が1人、村内の反対派が1人出馬した。もう1人は、青森県外からやってきて、反対も掲げているが「大麻解禁」という六ヶ所とまるで関係のない文脈を掲げている。

六ヶ所村の名誉のために補足をするならば、この確執の根底にあるものは、日本原燃による無理な土地の買い上げによる、地元民への分断工作や、巨額の補償金のバラマキが引き起こした意図的なものだ。

ただし、作られた分断に乗るかどうかは、わたしたちに託されている


わたしは、この選挙をひどい有様だと思う。言っては悪いが、選挙をはき違えているように思う。意図を持って丁寧に勝てない選挙をやることと、直前に準備をはじめて勝てない選挙をやることは、まるで違うのだ。

そしてこの選挙戦は、六ヶ所村の村民が誰を選ぶか、という話ではもはやない。
また、原子力産業によって地域が隆盛する話でも、もちろんない。
これは、青森県の端っこの、六ヶ所村という「デッドスペース」に見たくないものを押し込んだ、日本に住むすべての人の問題なのだ。

日本のデッドスペース
[写真 / wikimediaより]

だから、どうかこの散漫な選挙から目を背けないでほしい。
今回の六ヶ所村長選はこの国で、選挙制度が機能していない事実をまざまざと私たちに見せつけている。
地域と、そこに生きる人々の人間関係が特別に濃い地方においては、地域の未来はもちろん一国を左右するほどの問題に対してであっても、選挙を通じて未来を選び取ることができないのである。


わたしたちは今、際(きわ)にいる。

放射性物質による、万年の汚染。
それをどう越えるかを示す際、
つまりは自分たちと世界、そして歴史に対しての誠実さが問われるこの際においても、
このレベルの選挙しかできない
という厳然たる事実から、
どうか目を背けないでほしい。

一国の行く末を決めるような大事な選挙ですら、確執にとらわれ、広報目的で選挙をしているのが今のわたしたち。これはもう、六ヶ所村だけの話ではない。
六ヶ所村で今起きていることは、わたしたち日本に住むすべての人の、無自覚と無責任さの結晶なのだ。

だから、4年後に村長選があることを、ここで胸に刻もう。
今から4年前は原発を不安視するだけで、科学を知らない奴だと鼻で笑われたのだ。
もはや国民の過半数が原発を忌避する現状を、誰が想像しただろうか。

夢想するのではない。いつでも心が動けるよう、準備をしておくのだ。

そして可能であるならば、ぜひ一度六ヶ所村に足を運んでみてほしい。
私たちが見たくないものを一身に引きうけた村は、昔も、今も、変わりなく美しいままだ。

補足:
六ヶ所村の再処理工場は20年前から建設が始まり、未だに完成していない。
トラブルが相次ぎ、(誇張ではなく)完成延期を20年の間繰り返している。

2兆円以上をつぎ込んだものの、完成には至らない工場なのだ。
未完成の技術を「いつかなんとかなるだろう」と見越してはじめてしまったために、その「いつか」がまだ訪れていない、ということだ。
そして、この20年でつぎ込まれた2兆円は、電気代となって国民一人一人が買い支えているということになる。
その額は、今後も増えるだろう。

つまるところその買い支えは、放射性物質を垂れ流すことと、プルトニウムの保有のために充てられている。


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。