空気なんて読むな!ミレニアム世代のためのヒッピー入門編


大阪で、いのち喜ぶ身の立て方、というイベントに、盟友らんぼうさんと参加してきた。

ヒッピーについて、らんぼうと話す

わたくしテンダー、何を隠そう現代ヒッピーのはしくれ。なのでその場でちょっとヒッピーについての話をしたのだけど、
最近の若いもんは(←言ってみたかった)ヒッピーのッの字も知らない(←言いにくい)ことがあるので、テンダーなりの考察を書いてみようと思いましたとさ!


ヒッピーってなあに?

もののウィキを見ると、

「正義無きベトナム戦争」への反対運動を発端とし、愛と平和を訴え徴兵や派兵に反発した若者達がヒッピーの中心である
(Wikipedia より「ヒッピー」)

と書いてある。うーん、ざっくり!

ヒッピーの図一般的には長髪で、ヘッドバンドして、よくわからないものを吸ってて、ラブ&ピース!みたいなのがイメージされるけど、どうやらそれだけじゃないらしい。

昔はわたくしも「ヒゲとロンゲと絞り染め」がヒッピーだと思ってたんだけど、やっぱり違うみたい。

というのも、カリフォルニアのバークリーに滞在したとき、筋金入の70年代のジャパニーズ・ヒッピーさんたちに、わたくしお会いしまして。
その中でフサコさんという方のおうちにしばらく泊めていただいて、いろいろお話を聞いたのだけど、そのときのすべてが、とても面白かった。

良心的兵役拒否、ということば

ヒッピーの期限は、1960年代までさかのぼる。
ベトナム戦争が、いつから明確に始まったのか、というのは諸説あるんだけど、わたくしの聞き及ぶところだと、1960年より前の時点で始まっていたらしい。そのとき、アメリカには徴兵制があったのだけど、ほとんどの徴兵はベトナムには向かわず、国内配備されておりました。
徴兵されても、銃弾をかいくぐるような状況じゃなかった。
というのも、アメリカ政府は、傭兵を雇っていて、69年までは傭兵さんを雇えてたわけです。

ところが、いよいよ傭兵として雇える人がもういなくなってきたとき、しょうがないから徴兵もベトナムに送りましょう、となり、そのときに初めて、大規模な全米を上げての反戦運動が起きたわけです。(近しい人に問題が起きないと、コトの大事さに気付かないというのは昔からなんだね)

ベトナム戦争とヒッピー

それが世界的な反戦運動につながり、73年には米軍はベトナムから引き上げ、終戦となります。

このベトナム戦争の間に、アメリカ国内では、
自分は誰かを殺さない、その手助けもしない」から、懲役を拒否する、良心的兵役拒否を選ぶ若者が続出しました。良心的兵役拒否はほとんどの国で、国から認められた国民の権利で、その代わり福祉活動を一定期間務めるなどの代替労働があります。

しかし、彼らはアメリカ国内を出て、世界を放浪することを選びました。彼らは自由と平和を愛し、封建的な伝統を否定し、ヒッピーと呼ばれるようになります。それが、いわゆるヒッピーのはじまりの話。

「私たちは飛び出たんじゃない」

教科書的な説明だと、ヒッピーの歴史は以上のとおりなんだけど、それだけだと実際よくわからない。

というのも、1980年代生まれのわたくしからすると、申し訳ないけれど1960年代の日本の安保闘争のことも、誰かが命を落としたり、仲間を粛正したりするような、強烈なエネルギーや社会の抑圧がなぜあったのか、感覚的に理解できない。
それは、時代には時代のこころがある、と小林秀雄が言うように、きっとその時代のこころなのだろう、とも思う。

わたくしがアメリカでお世話になったフサコさんは、ベトナム反戦の流れで日本を飛び出した、画家のアキノイサムさんを追いかけて、世界を子供を連れたままぐるっと旅してしまった。そして方々にイサムさんを訪ねていって、最終的にアメリカでヒッピーコミューンにたどりつく。

ヒッピーのピースマーク

子供を連れて、ダンナさんを探しに世界をぐるっと旅をする?
わたくしにはわからない。尋常じゃない数の若者が、尋常じゃないほどの熱情を持って、世界に飛び出したり、体制と闘う、という感受性が当時の自分の感覚の中になかったのです。だから、そのことをフサコさんに聞いてみた。


「なぜ、彼らはそこまで熱情にほだされて、駆り立てられて、世界に飛び出すように、失礼な言い方をすれば生き急いだんですか?僕にはうまくわからない」

すると、フサコさんは言った。強く、熱っぽく。

「あなたにわかるわけがないじゃない。わたしたちは、飛び出して行ったんじゃない。時代に押し出されたのよ」

時代に押し出される、ということ

そのとき、フサコさんの言葉が胸に迫り、自分の中で何かが噛み合ったことを知る。

出て行ったんじゃない。押し出されたんだ。

その後、長い時間をかけて、わたくしは自分なりのヒッピーという在り方を問うた。自由を求めるとか、平和を愛するとか、そんな一言で言えるようなことじゃないのだろう。フサコさんの強く叫ぶような口調が、今でも耳を離れない。

それから、わたくしはたくさん旅をした。

現代のヒッピーは、責任と義務をどう考えるか。

その中で、一握りのホンモノヒッピーに出会った。
彼らと出会い、話し合って、そしてわかったこと。

ヒッピーは、いったんすべての義務を放棄する。税金や、法律や、倫理や、道徳や、公序良俗。
そして、再度えらびなおす

本当にそれが、すべての生き物や社会に必要なのであれば、
義務を再度えらびなおす。

課されたからやるんじゃない。
選んでやるのがヒッピーだ。

ひとことで言えば、
「義務を放棄し、
責任によって選びなおす」のがヒッピー

ということになる。

こんな時代だからこそ。

ひるがえって、今。

テレビや新聞がとてもチカラを持った。

ちょっととがったことを言うと吊るし上げられ、
教えてあげる前に批評をする慣習がひろがり、
「空気読め」の気配に満ちて(空気は吸うもんだ)、
就活生は、企業に気に入られようと必死になってしまう。

生き生きしてる若者の模範例が起業家、ということがあるけれど、
そもそも今の社会に新しい何かが必要なのか?
古い知恵を再度検討するだけで十分なのではないか?と感じることの多い日々。

わたくしは、そんなときだからこそ、
ヒッピーがきちんと発言するべきだと思う。

すべてのしがらみから脱して、立場も地位も放棄して、
言いたいときに、再度えらんでものを言う。
「それって今、必要なことなんですか?」って。

それをヒッピー同士で「あいつマジでバビロン」とか言い合ってるんじゃなくて、

しがらみによって発言できなくなっている、
現場の人の代わりに、ぐいぐい入っていってさらりと言ってあげると、
みんながラクになるんじゃないか、と思うんです。

他の人が言えないことを、言えないタイミングでも敢えて言う、もしくは表現する。
矛盾するようなおかしな言い方だけど、それが現代ヒッピーとしての責任だとわたくし思うのです。

つまるところ自由とは、選択できることじゃなくて、放棄できること

というわけで、
若者よ、
就活の選択肢にヒッピーを入れないか?
(←結論。春の企業説明会でした!)

ちなみにホンモノヒッピーは、一流レベルの「手に職」が5個も6個もあるのが普通。
建築、絵画、音楽、農、社会運動、その他特性に応じてetc…という感じ。ライフラインの知識と技術を全部網羅してるような感じの人が多い

つづく!


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。