ピースメーカー、らんぼうという男


[加筆修正:2013.7/26 10:33]
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昨日・おとといと、たまたま枕崎に来た、らんぼうさん。

何を隠そう2006年に同じピースボートに乗った友人で、会うのは実に6年ぶり。
お互いこの6年間で、当時からは想像もできないほど、世界中のいろんなところに行って、いろんな人と対話してきた。

らん☆ぼう(津高直樹)

札幌生まれ兵庫県在住。
1982年生まれ。31歳。
2006年地球一周
2007年 日本~台湾~ベトナム~カンボジア~シンガポールの二度ピースボート乗船したあと、
2008年から『スタディロード』という自然と共生した生き方を学ぶ体験学習型ツアーを山口県とケニアにて主催。
自分も社会も地球も喜べる世界を創造していくことをイメージし、日々様々なアクションを行う。
全国各地のイベント、学校、まつりなどでトーク&対話の場作りを行っている

船に乗っていたときは、わたくしはバーテンダーで虚弱だったし、
らんぼうはスポーツインストラクターで
「金と筋肉があれば何でもできる」という名言を残していて、会話の途中で筋トレをはじめる今とは全然ちがうタイプだった。

当時は難しい話が彼にはあまり通じなかったので、そこまで語り合わなくてもいいかな、と思っていたのは今だから言えること。

6年ぶりにあったらんぼうは、見違えるほど強く優しくなっていたよ。
今日は、そんなお話。


はじまりの、2006年

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船から降りたわたくしは、青森県六ヶ所村に移住した。
核燃料サイクルという国策の渦中に行って、自分がその当事者であろうと考えた。
坂本龍一が「ストップ六ヶ所」と言いはじめたけれど、実際の六ヶ所村は「核燃料サイクルの村」ではなくて、「静かで美しい村に、核燃料サイクルの問題がある」というところ。

冬の青森は本当に美しい。わたくしは、著名人の発言だけじゃなくて、自分で行ってみて、生活の中から理解する、ということを学んだよ。

かたやらんぼうは、船から降りたあと、山口県と祝島に入り浸るようになる。祝島の沖に新設予定の上関原発のことを、やはり肌で理解するためだったのだろうと思う。

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その後、祝島では緊張が高まって、武力衝突や、スラップ裁判(権力を持った側が、市民の弾圧のために起こす裁判)が起きるようになる。
六ヶ所村では、運動の緊張自体は高まらず、武力衝突などは起こらなかった(起こりようがなかった)。

らんぼうと会わなかった6年間の空白は、想像するより他にないけれど、活動する中できっとたくさんの罵詈雑言を浴びたのだと思う。
それでも、山口の抱える現状をより良くしていくために、山口県へのツアーを重ねるらんぼう。

わたくしは、青森県でアースデイ六ヶ所を開催したものの、攻撃的な環境運動の現場に傷つくことも多く、今後、核問題の現場に関わるのはやめよう、と考えるようになった。それから、国内放浪をするようになる。

自らの行く方へ

それでも、種々の問題のある地域に呼ばれたり、関わるようになり、わたくしは、だんだんときびしくなっていった。
元来の気性もあるけど、「多くの人と一緒にやることよりも、自分がどこまできちんとできるのか」の方が大事だと考えるようになる。
共感の和がひろがるよりも、答えがひとつ提示されることの方が意味がある。そう考えるようになった。

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それは、環境運動に関わる多くの人たちが、先進的で実験的な取り組みのひとつを挙げて、「ほら、だからもう原発はいらないでしょう?」というような提示をすることが多かったから。こころざしは一緒のはずなのに、わたくしは「じゃあそれをここに持ってきてもらえませんか?」と聞きたくなってしまう。知らない誰かの何かの理論じゃなくて、自分たちの出来ることを出し合いましょうよ。

でも、らんぼうは違ったらしい。

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彼は、共感の和がひろがることの意味を信じられた。6年ぶりに会って、話を聞いたら驚くことばかり。
今 目にする、社会的な運動の先端には、彼の信と愛からひろがったことがなんと多いことか。

愛知・COP10での、上関原発のことが国際会議の場で初めて語られたとき。

民主党政権が掲げた、「2030年に原発ゼロ」の青写真、それまでの流れ。

今回の参院選で17万票以上を獲得した最多得票落選者である、三宅洋平。彼の緑の党からの出馬の背景。

どれもらんぼうが関わっている

らんぼうの6年間の話を、まだ一部だけれどじっくり聞いて、改めてまざまざと感じる。彼の中では、世界はひとつながりなんだ、と。

同時に、わたくしは自分の6年間を振り返る。

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タヒチの古老、ガブリエル・ティティアラヒに、

「お前の考えることがいかに高尚であろうとも、人々に希望を付加しないのであれば、それはお前の知的なマスターベーションにしか過ぎない」
と教えてもらってから、自分の一挙手一同足が 誰かの希望足りえるか?を自問に据えて、あっという間に6年過ぎた。

それが間違っていたとは思わない。ただ、らんぼうに会って、わたくしはまたひとつ知った。
らんぼうの行動指針は、「その場にいる、みんなの希望になり得るか」だ。

この差は、ぱっと見たところ、大きな違いではないかもしれない。
でも、6年間の差は歴然だ。

わたくしはきびしくなった。
らんぼうは優しくなった。

彼は、6年の間に、ファシリテートとコーチングの技術を学んだ。らんぼうと話をしていると、どんどんとまだ見ぬ自分自身を引き出してくれる。
6年でこんなに成長したのか。やるなぁ。

わたくしは、うれしかった。


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アースデイ六ヶ所が終わったとき、だれも教えてくれなかったことがある。
現地で喜んでくれた人がたくさんいたこと、地元の役場や警察が、また来年もやってほしい、と言っていたこと。

だけどわたくしは、そういったことを教えてもらえず、自分を信じきれなくなり、「一回のイベントでは何も変わらない」と、わかった風なこと言って六ヶ所を出た。

あのとき、残ってイベントを続けていたらどうなったんだろう。
その後、六ヶ所村で大きなイベントが毎年開催されるようになったものの、そこに自分がつながっている実感はなかった。
なぜなら、わたくしは、追い出され、そして自ら出て行ったから。

きっと、そのときに、ひとつの大事な感受性を置いてきてしまったのだろう。

でも(だからこそ)、成長したらんぼうに学ぶ。そして理解する。
これからは、共有される希望を探ろう。

詩人、長沢哲夫が言ったよ。

ぼくらは地球を愛しているか
地球がぼくらを愛しているほどに

ーーもちろん!


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。