のぐち英一郎の鹿児島ガイド #4 「鹿児島のホームレスさん」
「生活困窮者自立支援法について」
今まで、NPOの活動、ビッグイシューのこと、鹿児島の実情を聞いてきました。
法整備や、行政としてのホームレス対応のことはいかがですか?
現在、国会で議題にあがっている、
生活困窮者自立支援法、という法律、
平成27年度からはじまるであろうと言われています。
鹿児島でつい先日、その法案についてのシンポジウムを開き、
厚生労働省の方に来ていただいて、ご説明いただきました。
社会保障には、
一般的には、仕事をした上での、困ったときに使ったり頼ったりするような制度、社会保険であったり、労働保険のような仕組みもあるんですが、その次の保障はもう、いきなり生活保護となる、というのが、およその社会保障の現状です。
リーマンショック以降、炊き出しにも20代・30代の方が
並ばれる状況が続いていたり、
貧困、経済的な困窮のある家は、その子供もまた、
就学や就職への機会がせばめられていて、
貧困が連鎖する、ということが指摘されいてます。
貧困が連鎖する。
はい、「子供の貧困」というように、
よく社会保障に携わる界隈では言われています。
そういうことを考えるたときに、
生活保護だけでは足りず、
その手前であるとされる、社会保障だけでも難しく、
その中間を埋めるものが必要だ、ということで
この生活困窮者自立支援法というものが
27年度から動き出そうと言う状況があります。
ほほう
「いきなり法律ができました、メニューはこれこれです、
では地方自治体も法に基づいて走り出してください」と言われても、いきなりの対応は難しいですよね。
だから、準備段階として、行政だけではなく、全国各地にある自分たちのようなNPOが、
この法案にはどういう取り組みができるだろうか、ということを考えて、もう少し行政にもメニューを増やしてもらう、限りある資源を振り分けてもらう、
そのことをじっくり考えてもらう来年1年間にできれば、という思いで、シンポジウムにのぞんできたところです。
また、議会などでは、子供の貧困ということが気にかかっていて、
それはさきほども出ましたが、どういうことですか?
子供の貧困って。
育つ環境が経済的に困窮していると、
本人に知的障害があるのに、親も手帳を申請せず、
本人もそれと気付く機会を得ないままに社会に放り出される、というようなことが起こるときがあります。
子供の時も大変だったけれど、
そのまま大人になっても、経済的に困窮する青年期を過ごす。
それは、つまりは続柄としての子供という意味ですか?
そうですね、そういう問題がある。
問題があるけれど、今までは表立った問題として扱われていなくて、政治的に言えば「問題として扱われていない」ということは、政策的な予算も人も振り分けられてない、ということになります。
そのあたりを
制度として、何かメニューを組みたい、とわたしは思っています。
子供の貧困に対して、学習支援、宿題支援というところから、
何かできないものか、と思っています。
今まで、逆にそういう制度がなかったのが不思議ですね。
これまでも、わたしも鹿児島市に提言はしていたのですが、
そこは法的な根拠がなかったので、なかなか聞いてもらえませんでした。
国のモデル事業に応募すれば、全額国が出してくれる、というメニューはあったんですが、
鹿児島市ではそれに応募しなかったので始まっていません。
今回の法案には、そういった子供への学習支援だったり、
居場所づくり、ひいては就労支援まで、
しっかりと中に謳われています。
法律が作られることで教育や就労などに市が事業を組むための前提が整います。
それぞれ事業が、丁寧にきめ細かく進むように議会内外で発言していきます。
なるほど。
ちなみに鹿児島でも、子供の貧困はあるんですか?
うーん、聞く限り、全国各地で同じようなことがあります
視察で埼玉に行ったときにチラシをもらったのですが、
そこでも、子供の居場所問題というものが取り上げられていました。
やっぱり、学習が定着していない。
育ちの環境、所得状況に応じて学習能力に差があるのではないか、とはずっと言われていて、その状況は全国的に同様なのではないか、と思います。
うーん、子は親を選べませんし、難しいところですね。
そうなりますね。
そして、やはり自分たちがやりたいのは、生活保護のことだけではなく、
根本的な困窮支援です。
困窮支援といっても、就労をさせて保護を受けさせない、とかではありません。
自立支援法が、就労を推すような方向性を持っていて、
保護を受けにくくするんじゃないか、という指摘もかなりあります。
もちろん、そうなってはダメなので、
そういう風に運用させないようにすることと、
そうじゃなくて、きちんと運用する人がいれば、
本当に就労だったり、意味のあるチャンスに近づける人がいる、ということのために、
法律を使いこなしていかなくてはなりません。
「ホームレスに対する偏見」
ホームレスのこととかって、人によっては、外から見て、
努力が足りない、とか、なんでやらないんだ、とか、やらないから当たり前だ、みたいな強者の論理で構造を断罪する、斬ろうとする人って、
多いと思うんですけど、
そうじゃなくて、かたや継続的に支援する人達もいらっしゃいますよね。
そういう支援する人達の論理、ハートのかたちというのは、どういうことなのかな、とずっと気になっています。
2004年の4月、高遠菜穂子さんたちが、イラクで捕まったあたりから、自己責任論、何でも自己責任に還元する、という風潮がとても強くなった気がします。
その考え方は、衰えをしらないし、意地悪だし、それが蔓延するのは困った社会だな、と思うんです。
ロスジェネと言われる超就職氷河期のことも、
「個人の努力の問題だ」、といった大雑破な見方で、
とても言い切れないような状況だと思うのですが、
それがほったらかしのまま、10年以上過ぎてしまいました。
それは貧困の連鎖につながっていきますし、
困窮者自立支援法は、そういうことも視野にいれて、
パーソナルサポート、個別の人、個別のケースに寄り添って支援をする、という事業が公ではじまりつつあります。
まだ、多少試験的な状況ではありますが。
へえ、それはまた、ずいぶん変わりますね。
個人ががんばって解決できる、
という話ではないことが制度的には認識されてきているんです。
一般の方の見る目は、まだ厳しいのかもしれませんが、
そこは話し合いながら理解の輪を広げるしかなくて。
「支える」という行為は、
歩こうとするなり、
立ち上がろうとするなり、
自発的意志があるところへの補助なんです。
どんな方でも「明日は我が身」という時代の状況の中ですから、
困ったときはお互い様、という社会でありたいですね。
いやはや、考えることがたくさんでした。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
野口英一郎
鹿児島市議。2000年に 28歳で初当選。以来4期当選、現在にいたる。
なかなかわかりづらい政治の話を、議員だからこそ知りうる内情も混ぜて、わかりやすく解説します。
趣味は、水泳と読書と料理(片付けは苦手)。
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