なぞなぞ道を往く 01



なぞなぞと ダジャレ(オシャレ)を、人類は もう少し掘り下げられるんじゃないかと思って、日々真剣に取り組んでいます。

ダジャレ = 駄洒落 なのですが、環太平洋浄化300年計画総裁の 溝口さんが、

「これはもっと高尚な文化だから、
〝駄〟じゃなくて、丁寧に〝御〟を付けよう、御をつけて
オシャレだ!」

と言ったのを皮切りに、2011年秋から、日本中でオシャレと呼ばれるようになりました。

わたくしは最近、ようやくひとつの高みに辿り着いたのですが、
なぞなぞも、オシャレ(ダジャレ)も、
言って終わりではなく、言った瞬間からがスタートだと自覚することが、
大いなる目覚め(Realize)につながるのです。

例えば、先日わたくしは、レモンをかじっているときに、

「次の 007の映画、梅干しとかレモンばっかり出てくるんだって!」
「なんで?」
「スッパイ映画!」

という、愚直なまでの誠実さを持って、オシャレをたしなみました。

しかし、ここで論評してはなりません。
論評は、土俵に上がらなかった者のすることで、粋で いなせなオシャレさんのすることではありません。
ましてや オシャレの最中に論評するなど もってのほか。

もし、あなたが多少のオシャレをたしなむならば、
すかさずこう切り返すべきです。
なぜならそれは、スタート地点でしかないのだから。

「だったら、春先の上映がベストだね」
「なんで?」
「酸が強い(3月良い)!」

おやおや!まだ腰を落ち着けてはいけません。
ここでもし、あなたが真のオシャレニストであるなら、

「よだれが出ますな」
「押忍(お酢)!」

と締めるのが 礼儀なのでした。

そして、オシャレと なぞなぞは 同じ眷属である、ということも忘れてはなりません。
それは、表裏一体であり、互いに磨かれながら、育っていくものなのです。

続く。
(メリークリスマス!)


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。