生きることと死ぬことと、批判を止める「ちょうどよさ」という概念。


北海道へ熊撃ちに。

羆撃ち、久保俊治さん
北海道の女満別へ、「羆撃ち」著者の久保俊治さんに会いに行っていたよ。

やたらサバイバルスキルの高い成人男性4名で行ったのだけど、北海道道東はまさかの低気圧発生
吹きすさぶ地吹雪のなか、ほぼなにもできず、2泊3日でお茶ばっかり飲む、サバイバルスキルの高い猛者計5名


雪に喜ぶ服部文祥さん (5月中旬で積雪のため、峠が通行止め。日本は広い!)


銃とともに暮らす人


さてはて、あわよくば熊撃ちの実際の技術を盗もうと思って、鹿児島からはるばる2500kmを越えてきたけど、あいにくの嵐で見れずじまい。

そのかわり、久保さんから狩猟に関する積もりに積もる話を聞かせていただきました。

そんなお話を聞いていると、とにもかくにも久保さんの身近には幼い頃から銃があって、銃を愛しているのがよく伝わる。

構え方の説明をする久保さん (銃の構え方をモデルガンで説明。「枯れ枝が振れるように構えて」とは久保さんの弁)

お聞きした数々のエピソードは、驚くようなものばかり。

ここではひとつひとつは書かない(書けない)けど、
個人的な印象として、「銃が手元にある人は、銃を撃つことと死へのハードルが低いんだろうな」ということを感じる場面が多々あった。

熊の胆(くまのい) (久保さんが獲った羆の胆。卸値がグラム1万円。)

今回の熊撃ちをご一緒した、サバイバル登山家服部文祥さんも、
「猟師仲間では死ぬことが冗談でよく出てくる」と言っていた。


生き死にのこと

久保さんの突き抜けた死生観から翻って、自分のことを考える。
この2、3年、わたくしの周りでは、生き死にの話が多かった。

スバルさんと解体系のワークショップをしたり、日本最大の有機農業のイベント、オーガニックフェスタかごしまで4つ足の獣の解体をしてたのもあるけど、時代のこころというか、屠殺というものに対する考え方もうつろってきたように思う。


今までは、若い大学生くらいの子に解体を説明すると、
「命は大事だと思いました」みたいなことを
何の躊躇もなくたやすく言う子がほとんどだった。

にわとりの解体 (小学生たちと。小学生たちは反応が素直だ)

にわとりの解体
にわとりの解体

でも、わたくしは思う。

大事なら食べなければいいじゃないか。

本当に大事だったの?
大事という言葉で表現せざるを得ない、抜き差しならぬものがそこにあったのか?

と、再度たずねたい。

というのもほとんどの場合、ある一定の年齢を過ぎた若者たちと解体をすると、小学生の頃から教わる「道徳的ないわゆる命(いのち)論」にまみれてしまって、
その人本来の意思や気配が隠れてしまっている、そんな風に感じることが多かった。


だけど、このしばらくの間に、
ちはるの森」のちはるさん
ちはるの森
解体女子炎上事件から、
屠殺や、食に対して、安易な評価を下すことを、保留できるひとが増えてきたように思う。

安易な判断を保留することは世界に対して謙虚でいるための、重要な技術のひとつだと、わたくしは思う。


(次ページ、 ちはるさんの「ウサギはかわいい味がした」)


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。