無力を感じたときに読んでほしい、存在意義の見つけ方。


たいへんご無沙汰しております。テンダーです。

選挙に関する撮影やコピーライト、ウェブデザインや演説のあれこれアドバイスなど、コンサル的なことを勢いでやり始めてから早2年。
熊本市長選から衆院選をはしごして、大阪に出入りしてました。いやあ、毎度毎度、選挙は大変ですなぁ。

そんな折、大学で授業をさせてもらうことが増えてきたさっこん。20歳前後の方とお話すると、もはや32歳になる自分との、それぞれが大事にしているものの違いに気付く。
そこで今日は、授業の中でふと思った、あなたは社会から必要とされているのか、いないのか、というお話ですよ。


1.あなたの力

無力を感じたときに読んでほしい、存在意義の見つけ方。鹿児島市
<Photographed by Takobou

たとえば、鹿児島市には60万人がいる。その中、60万分の1としてのあなたに、価値の実感はあるだろうか。価値の実感を、あるいは「可能性」と言い換えてもいい。
学生さんに聞く。持てない、と答える。

では、たとえば鹿児島大学。学生数は9000人
9000分の1としてのあなたに、価値の実感はあるだろうか。
学生さんに聞くと、首をかしげる。判断に迷うようだ。

ならば、鹿児島大学法文学部のとあるクラスは50人
50分の1としてのあなたに、価値の実感はあるだろうか。
ここまで来ると、学生さんのほとんどが実感を持てる、と言う。

そこで聞く。

「大学の授業の90分。長いよね?
人間の集中力は45分、と言われているのに、なんでみんなは90分も授業受けてるの?

学費払ってるのに、効率の悪い授業設計されるのって、不快じゃないの?

40分授業、10分休憩、40分授業にしてくれ、って交渉してみたら?」

「もし交渉するなら、大学全体にするよりも、個別の授業にする方が簡単そうだよね。
そのとき、50人のうちの何人が声をあげれば、先生は聞いてくれると思う?

と聞くと、学生さんは、半数か過半数以上と言うことが多い。
そして先生に聞く。

「何人の学生さんが、先生考えてくれよ、と交渉に来たら聞きますか?」

とある先生は、5人くらいから。
とある先生は、意義さえあれば1人でも。

学生さんは驚く。そんな人数でいいんだ。

5人が話に行けば変わるかもしれなかった授業や枠組み、それを一度も交渉しないまま、4年間過ごして『あの授業クソだったわ』みたいな評価をするのってどう思う?」

学生さんたちは真剣なまなざしで、こちらを見つめ返す。
学生さんにとってみれば、

鹿児島生活の大半は学生生活で、
学生生活の大半は授業なのだ。

ということは、授業のクオリティ次第で学生生活の質は変わるだろうし、ひいては彼/彼女の鹿児島に対する評価にもつながりうる。それは、町の未来を変えるだろう。

そしてとても大事なこと。

あなたの暮らしは、一見すると大きな枠組みに包括されているように見える。だけど、一番密に接しているのは、実は面と向かって数えられるくらいの、小さな集団なのだ。

2.無名の才能

無力を感じたときに読んでほしい、存在意義の見つけ方。スーパースター
<Photographed by Christopher Johnson

続けて、才能の話をした。

「たとえば、あなたにものすごいバスケットボールの才能があるとする。誰もがうらやむスーパースターだ。
だけど、ハイ、今この瞬間からこの町にはバスケット禁止条例ができました。以後、バスケットは禁止です。となったとする。

このとき、あなたはどうする?

自分の長所を活かせない枠組みの中で、『俺ってなんてダメなんだ』と腐っても、そこに意味はあるのかな? そうじゃなくて、引っ越す(=枠組みの外に出る)とか、条例を変えるよう画策(=枠組みを変える)したり、自分の能力を活かせるように、何か手を考えると思うんだよね」

自分に可能性を感じないとき、それはあなたの能力だけの問題ではない。枠組みの問題まで含まれる。
そして、ほとんどの場合、枠組みは簡単に変えられる。自分を反映させる枠は、自分で決めればいいだけの話だからだ。

「この話を知った今、あなたは無力な60万分の1では、もはやない。

50分の1かもしれない。3分の1かもしれない。

だけどそれじゃあ社会に届かないじゃないか、と思うかい?

何言ってるんだ、その『50分の1のかたまり』の集合体が、社会そのものじゃないか。

自分の例を引き合いに出せば、僕の暮らす集落は15世帯。去年引っ越してきた新参者の自分であろうとも、15分の1だ。話し合いにも参加できる。このことに、僕はとても可能性を感じる。

そんな集落が、日本中にごまんとある。」

社会は、
小さな枠組みの集合体でしかない。

3.人を物扱いしない

無力を感じたときに読んでほしい、存在意義の見つけ方。スーパーマーケット
<Photographed by Nmaeda

熊本市で選挙を手伝ってたとき、従来の選挙カーから大声で呼びかけるような手法に違和感を覚えて、ハート・トゥ・ハートのコミュニケーションをきちんと成立させられないか、と考えた。
その結果、ボランティアの方に、スーパーマーケットの出口で、チラシを配ってもらうことにした。

「○○○(候補者名)です、お願いします!」と一方的に配る(押し付ける)のではなく、相手の話が長引けば、いくらでも聞いてもらうようにし、可能であれば「周りの人にも配ってもらえませんか?」と協力を申し出るようにしてもらった。

その結果、政治のチラシなのに、受け取り率は8割を超え
「あなたが話しかけてくれたから、この人に入れるよ」という人が、毎回1%くらい現れた。

フィードバックがきちんと取れてないけど、1週間の間に相当数の票をもらえたと思う。

僕は思った。ああ、もともとの選挙ってこういうことだ。

人を、物扱いせずに、信頼を伝播する作業の繰り返しなんだ。

無力を感じたときに読んでほしい、存在意義の見つけ方。、街宣車
<Photographed by Vantey

街宣車から一方的にこちらの要求を提示する馬鹿らしさ。
投票に行きましょう!と叫べば投票率が上がると思ってる軽薄さ。

表現者と受け手の関係性を不在にし、その上で社会的意義があるという理由で、ある意味では理不尽な要求を提示する姿勢そのものに、多くの人が辟易するのだろう。

人が投票に行かないのは、未来に興味がないのではなく、
いきなり物扱いされる「選挙期間というイベント」に、関わりたくないからなのかもしれない。

チラシを配るとき、配ってくれる人に「目の前の人を数だと思わないでください」と僕は頼んだ。
1人にしか渡せなくてもいい。だけど、その1人に話して良かった、と思ってもらえるようにしてください、と。

なぜなら誰だって、あなたじゃなくてもいいと思って配られる情報を、受け取りたいとは思わないだろう。

実感は取りに行け

はじめの2つの話に、2つのヒントがあった。

1.あなたが属している大きな集団は、あなたの属している小さな集団の集合であり、小さな集団でのあなたの発言力は、思っているよりも大きい。

2.自分を活かすのは、才能よりも枠組みの問題であり、自分を活かす小さな集団の集合体が、社会そのものだ。

この社会が実は小さいという実感 ———「価値の実感」は、そのまま「可能性」と言い換えることができる。
このとき、自分の 価値の実感 / 可能性 を決めているのは、才能よりも枠組みだということが、「無名の才能」の話からわかった。

そして、枠組みは、こう変えよう、と考えるだけで変えられる。
なぜなら枠組みは、人々の頭の中にしか存在しないからだ。
つまり、こういうことだ。

あなたが、60万分の1としての自分に、価値の実感を持てない、と言ったとする。
ならば枠組みを変えてみよう。

なんだっていい。バスケットボールの好きな友人3名でも、バンド仲間の4人でも、サッカーチームのメンバー20人でもいい。
自分が、その集団の一員であり、なくてはならない必然の一員であることに気付いたとき、あなたには実感があるはずだ

その実感はどうやって得た?
実感は、今まで自然と湧いて出るものだと思っていただろうか。

違う。実感は湧いてくるものじゃない。
取りにいくものだ。

あなたが小集団の一員である実感を持ったとき、
あなたは、自分の望む枠組みを考え、自分から定義したんだ。
つまりあなたは、能動的に 価値の実感 / 可能性 を取りに行った。

社会は、大きくなんかない。遠くもない。
あなたが選ぶものなんだ。

一羽一羽の鳥たちへ

60万分の清き一票と言われたら、僕だって価値を感じない。
だけど、僕にはわかっている。

投票に行くのはオマケみたいなもの。
僕が、あなたが、みんなが、いつも自分で考え、行動し、優しさの再分配をしていたら、選挙なんて必要ない。
人々が素晴らしければ、代表もいらないからだ。

ただ、今の日本は、そこまで優れてもいないし、賢くもない。
だから、結果的に優れてもいないし、賢くもない選挙制度に「付き合ってやらなければ」いけなくなる。

投票に行く事は、本質的には誰かを選ぶことじゃない。
僕が、あなたが、みんなが、自分で考えていることの表明なんだ。

考えている人は、価値の実感を取りに行けるから、人生のつらさが減るだろう。
考えない人は、他者の決めた枠組みに振り回されてしまうために、生きづらいだろうに、と僕は思う。

20歳を迎える学生さんたちと話をして、僕はずいぶん、探しながら、訪ねながら長い道のりを歩いてきたことを知った。
だから僕は今、伝えたい事がある。

これから飛び立つ、一羽一羽の鳥たちへ。

あなたは、無力なんかじゃない。
なぜなら、あなたとあなたの友人たちとが、社会そのものだからだ。

そしてあなたが、選挙制度に付き合うときは、3つ目の話を思い出してほしい。

あなたを物扱いしない人を探そう。

あなたを物扱いする人には、社会も世界も、交換可能な消費財としか見えていないだろう。
あなたのことを「代え難いあなた」と見る人には、社会は壊れやすく、多様で美しい蜂の巣のように見えるだろう。

願わくば、あなたのあなたらしさを受け止めて、
「何かをさせようとしない人」を探してほしい。

その積み重ねが、柔らかな世界を作るのだ。

(2014.11/13 いとうせいこうさんの文章に敬意を込めて)


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。