無人島合宿、大好評で閉幕。無人島暮らしの4泊5日はこんな感じでした!(後半)


前回までのあらすじ。

無人島に意気揚々と来たこどもたちであったが、当然のような上げ膳据え膳のさまにオトナが怒る!自分たちでもうちょっと何かおやりなさいよ!

というわけで、

・1日分の水の濾過
・お昼ごはんのための火起こし
・お昼のためにパンを作る
・夜は徹夜で火の番をする

ことになった。

さっそく濾過器を作る

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[写真撮影:澤田佳子]

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炭式濾過器を、漂流物のボトルで作る。

炭は昨日の炊飯に使った火の消し炭。砕いてボトルに詰める。

濾過器はきちんとできたけど、ポタポタと落ちる濾過水が溜まるのに時間がかかるのと、その後の煮沸が面倒くさくなって、だんだんとこどもたちは生水を飲むように。

ここの水は生で大丈夫だったけど、当たったりしながら、ひとつひとつ手間とリスクの実感を伴って理解されるのっていいね。

パン生地をこねる

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みんな、こういうの無条件に好きね!しっかりこねて、その発酵待ちの間に、

火を起こそうとする

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今回の面々はかなりうまいけど、それでも難しい火起こし

さらに、台風が南にあるので風も結構強い。どんなに技術があっても、強風が吹けば火種の温度は一気に下がってしまうので、火起こしはとても難しくなる。

そんな中、試行錯誤をしながら火種を作ること4回。すべて強風や、火口(ほくち)の作り方によって失敗。

あきらめそうになるたび、ちょっとずつアドバイスとヒントを出しての、挑戦5回目。
その様子を見ているうちに、わたくし気付いた。

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彼らは学校ではよく、「みんなで協力しなさい」って言われるのだと思う。だけど、協力しなさい、って具体的に何をどうするのか感覚的にわかりづらい。

彼らの中での協力は、「順番にやる」とか「その場に一緒にいること」、「みまもること」であって、「力を合わせる」ことではないのかもしれない。

「協力」と、「力を合わせること」は目的が違う

二人組でやる火起こし、「紐切り」は、
押さえ役が疲れたら、誰かがその上から手を重ねて押さえればいいし、引っぱる人が疲れたら、そのまま交代したらいい。
何人いても、同時にひとつのことをみんなでできる。

だけど、彼らは見守ってしまう。

おそらく彼らの「協力」には、個々の地力が最大に出せるよう配慮し合う・融通し合う、みたいな意味合いがあって、それは、「最終的に誰が達成するか?」という興味に支えられてるのかもしれない、と思った。なんだか国家間の協力体制みたいだ。

でも、この状況に必要なのは、文字通り力を合わせることだったから(比喩ではなくて)、どれだけベストを尽くしても、一人分の力量・筋力では達成できないので、力を合わせる必要がある。

その話をしたら、

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ビロウの樹皮を集める子(ビロウの樹皮は、これ以上ないくらい優秀な着火材)、
薪を集める子、
風防をきちんと立てる役割の子がでてきた。
交代も、声を掛け合いながら、シームレスにつながるようになった。

回転が止まらなければ、必ず火はつく。
その結果、、

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来た!

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火起こし成功!いやあ、たくましい。
無人島で水を濾過して、火起こしする小中学生たち。すばらしいぞ。

そのままのやんややんやの勢いの中、竹パンづくりでお昼ごはん。

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というわけで、目標4つのうち3つクリア!
休憩&海遊びだ!(次ページへ)


この記事の著者

テンダー

ヨホホ研究所主宰の、泣く子も訛る社会派ヒッピー。 電気関係、ウェブ、文章表現、写真、選挙、先住民技術、などが研究対象。 2016年のテーマは、持続可能性の本を書くことと、アウトフローを極めて綺麗にすること。